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中日对照阅读:不可思议的卖鱼人

发布时间: 2012-05-09 09:49:35 作者: sxsgeass

  奈良の大寺(とうだいじ)で、「(けごんきょう)」というお(きょう)のしをする会が、初めてもよおされる事になったのおしです。

  在奈良的东大寺,初次召开了关于颂「华严经」的会议。

  会の日取りはまりましたが、おのしをしてくれる人をにするか、なかなかめかねていました。

  虽然会议的时间决定了,可是让谁念经却始终决定不了。

  その、天皇(てんのう)が、「で告げられた事だが、朝一番先に寺の前で出会った者を先生にするがよい」と、お寺にえて来たのです。

  这时,天皇传指令给寺庙说「在梦里有人告知早上最早在寺庙门口遇见的人就是老师了」。

  お寺ではその通りにする事にして、その日の夜明けを待ちました。

  寺庙决定按照吩咐的做,就一直等到天亮。

  すると、お寺の前を一番先に通りかかったのは、を入れた大きなザルをてんびん棒でかついだサバりだったのです。

  最初经过寺庙的是一个用扁担挑着装满鱼的大箩筐的卖鲐鱼的人。

  (はて、この人に、おのが出来るのだろうか?)と、思いましたが、天皇ののお告げですから、だまって送ってしまうわけにはいきません。

  (呀,这人会念经吗?)虽然这样想,可是由于是天皇梦里告知的事情,所以不敢视而不见。

  サバりを呼び止めて、わけをすと、「と、とんでもねえ。わしはこうして、サバをって暮らしておるだけの者じゃ。おのしだなんて、とてもとても」

  于是叫住卖鱼的,把事情的原委向他说明了一下。「这太不可思议了。我只是这样一个以卖鲐鱼为生的人啊。念经什么的完全不行啊」。

  「しかし、天皇のお告げが」。

  「可是,这是天皇的旨意啊」。

  「天皇なんて、ねえ。生臭いは食わねえ坊さんたちにはわかるめえが、サバというは、すぐに腐るんじゃ。「生き腐れ」と言って、それこそ生きているにも腐るんじゃ。さあ、ひまをつぶしておるわけにはいかんから、道をけてくだされ」。

  「天皇什么的和我没有关系啊。你们和尚不吃腥鱼,所以可能不知道,这种鲐鱼,很快就会腐烂的。就如「就算活着也是在腐烂」所说,在活着的时候就已经开始腐烂了。所以别再消遣我了,快给我让开一条路来」。

  「まあまあ、そこをなんとか」立ち去ろうとするサバりをお寺の人たちはなおも引きとめて、やっとの事で本堂へれて行きました。

  「等等,请无论如何帮一下忙啊」寺庙的人们拖着要离去的卖鱼者,好不容易把他拖进了正殿。

  「……仕方ねえな」念したサバりは、八十匹のを入れたままのザルを机の上に置きました。

  「……真是没办法啊」死了心的卖鱼者就把装了八十条鱼的箩筐放在了桌子上。

  「あんな生臭い物を、机の上に置くとは」集まった人たちが困った表情をしましたが、不思な事に八十匹のサバはたちまち八十のおの物にかわったのです。

  「那么腥的东西怎么能放在桌子上呢」聚集的人们面露难色,可是不可思议的是,那八十条鱼一会就变成了八十卷佛经了。

  そして口をき始めたサバりの言をいて、人々はビックリしました。

  而且听到卖鱼人开口说的话,人们大吃一惊。

  サバりは古いインドのおの言でし始め、途中でを止めると机の前から立ち上がって本堂から出て行ってしまったのです。

  卖鱼人开始说古印度的佛经,途中突然停止说教,从桌子前站起来走出来大殿。

  不思なサバりがをかついでいたてんびん棒は、回廊の前につき立ててありました。

  不可思议的是,卖鱼人把挑着鱼的扁担插在了走廊前。

  その棒からはたちまち枝やっぱが出て、柏(びゃくしん→ヒノキ科の常高木)という木になりました。

  那扁担不一会就长出枝叶,变成了圆柏树(柏科的常绿高树)

  もしかするとサバりは、さまだったのかもしれません。

  或许那卖鱼人正是佛祖

  こののち、大寺で年三月十四日にかれるおのお会の先生は、このサバりにならっておしを途中で止めて、本堂からだまって外へ出ていく事になったという事です。

  之后,据说在东大寺每年召开的三月十四日佛经会上说教的老师,就是这卖鱼人,总会在说到一半时默默地从正殿走出去。

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